とんかつ食べたい。

子育てと消費生活のログ

SPIは確かに多少対策したところで無駄なのかもしれない。

久しぶりにSPIを受けたのだが、SPIについて同じように受けた知人と話していたところ、SPIはSPI対策でスコア向上が可能か、という話になり、1週間程度やったところでさほど意味はないのでは、という結論に達した。

SPIに難易度が存在するのかよく知らないが今回受験した奴はかなり難しかったので、それをイメージしていると思ってくれればいい。

尚、ぼくはどちらかといえばSPIは極めて得意な人(就職活動の際、大手金融機関の面接で「君、ずば抜けてスコアが良いね」と言われたぐらい。落ちたけど)で、知人は経歴対比で言えばかなり苦手な人である。

①問題の性質が対策出来るようなものではない説

SPIの国語では、文章の読解力を問われるような、要点の抜出問題、適切な文章構成に並び替える問題が出題されるわけだけれど、接続詞などに注目して解く、という感じの文章ではないな、と率直に感じた。テクニカルに何かする余地があるとすれば、選択肢にある中で言えばこれ、というような文章が多い印象があったので、選択肢を見てから文章を眺めるぐらいかと思う。

算数の方は、まだ学習で覆す余地はある感じもあったけれども、今回受けたSPIでは、どちらかというと、文章に書かれていることを正確に整理し、論理的に導き出すと回答はこれ、といった問題が多く、結局これ、読解力が低い人は公式的なものを学習したところで、解けないのでは…と思わされた。

②たくさんやれば効果はあるとは思うが

SPIが苦手な知人も同じで、1週間程度学習したものの、結局、その程度では、問題の練習は出来ても、そもそもの読解力の高低は覆せないだろう、という感想のようだった。

もちろん、1カ月ぐらいの期間をかけて、そもそもの読解力自体の向上や、思考力の向上を図るのは効果があるとは思うが、それって結局、本人自身の処理能力が劇的に上がっているという話なので、対策というものでもない気がする。

③それなりに労働経験を経てから受けると、SPIの意味がよくわかる。

話はそれるけれど、今回SPIを受けて思ったのは、「これでふるいをかけるのは確かに意味があるだろうな」ということだった。働いていると、結構文章が読めない、あるいは、論理的に言えば明らかに間違っている選択肢を頻繁にとってしまう人と出会う。

そういった人をふるいにかける意味で、SPIというのは有効に作用するようにできているようには感じた。一定以上の論理性を持ってコミュニケーションできる人を採用するための装置なのだ、これは、と思えたのは、収穫だった。

まあ、最大の問題点として、自宅で替え玉受験が出来る、というところがあるので、そういった意味では、大きな抜け道が存在するが、それをクリアできる水準の替え玉が用意できるなら、それはそれでよい、ということなのかもしれない(つまり、そういったスペックの人を何らかの方法で連れてこれる程度には、優秀な人ということなので)。